2011年10月03日
あの頃の20世紀少年…流星号のDNA?
何だか似てませんか?


僕がこのハーレーを買った理由のひとつが1969年のべレット1600GTRに凄く似ているカラーリングだったから…
いすゞ自動車は現在トラックメーカーの認識しかないと思いますが、当時は乗用車も含めた総合メーカーで個性的でどちらかというとヨーロッパ的な車を作っていました。
ジウジアーロの117クーペは有名ですが、実はこのべレットとかも凄く憧れの存在だったのです。「和製アルファロメオ」なんて呼ばれてね♪
僕の親父はいすゞに勤めていたので親近感バッチリです。その頃はよくモーターショーに連れていってもらったもんです。トヨタ2000GT、セリカのコンセプトカーなど晴海の会場はまるで宝箱のようにキラキラしておりました。
第一期スーパーカーブームは「サーキットの狼」の連載が始まる1974年からだと思います。この1960年代最後の年はアポロが月に行きました。我が家にもカラーテレビがやって来ましたし、日本は大阪万博を翌年に控え凄いテンションでありました。小学校6年生のHarryの目の前には夢しかありませんでした(微笑)
形式名PR91W。「GT-R」と称されることも多いが正式名称は「GT typeR」である。1969年8月の鈴鹿12時間耐久レースで優勝を飾ったベレットGTXをプロトタイプとする、「ベレG」の中でも最上位モデル。エンジンを117クーペ用の1600ccDOHCに換装、サスペンションを前後輪とも強化スプリングとし、ブレーキにサーボを追加するなどサーキットでの技術をフィードバックさせている。車体は太陽光反射を抑えるため黒のボンネットが採用され、2分割されたフロントバンパーの間にフォグランプを装着する。しかし、1971年11月のマイナーチェンジ後はGTともども、当時流行のブラックマスクスタイルとなる。1973年3月まで生産されたが、生産総数は1400台程。なお、この車種に使用されていた"TYPE R"のエンブレムは3代目ジェミニ(クーペ・PAネロ含む)イルムシャーRにも引き継がれている。(※ウィイキペディア)


僕がこのハーレーを買った理由のひとつが1969年のべレット1600GTRに凄く似ているカラーリングだったから…
いすゞ自動車は現在トラックメーカーの認識しかないと思いますが、当時は乗用車も含めた総合メーカーで個性的でどちらかというとヨーロッパ的な車を作っていました。
ジウジアーロの117クーペは有名ですが、実はこのべレットとかも凄く憧れの存在だったのです。「和製アルファロメオ」なんて呼ばれてね♪
僕の親父はいすゞに勤めていたので親近感バッチリです。その頃はよくモーターショーに連れていってもらったもんです。トヨタ2000GT、セリカのコンセプトカーなど晴海の会場はまるで宝箱のようにキラキラしておりました。
第一期スーパーカーブームは「サーキットの狼」の連載が始まる1974年からだと思います。この1960年代最後の年はアポロが月に行きました。我が家にもカラーテレビがやって来ましたし、日本は大阪万博を翌年に控え凄いテンションでありました。小学校6年生のHarryの目の前には夢しかありませんでした(微笑)
形式名PR91W。「GT-R」と称されることも多いが正式名称は「GT typeR」である。1969年8月の鈴鹿12時間耐久レースで優勝を飾ったベレットGTXをプロトタイプとする、「ベレG」の中でも最上位モデル。エンジンを117クーペ用の1600ccDOHCに換装、サスペンションを前後輪とも強化スプリングとし、ブレーキにサーボを追加するなどサーキットでの技術をフィードバックさせている。車体は太陽光反射を抑えるため黒のボンネットが採用され、2分割されたフロントバンパーの間にフォグランプを装着する。しかし、1971年11月のマイナーチェンジ後はGTともども、当時流行のブラックマスクスタイルとなる。1973年3月まで生産されたが、生産総数は1400台程。なお、この車種に使用されていた"TYPE R"のエンブレムは3代目ジェミニ(クーペ・PAネロ含む)イルムシャーRにも引き継がれている。(※ウィイキペディア)